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2021年の振り返り

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初めての職場 – Sudo

2015年にインターンを始めてから現在まで、あっという間に6年以上が経った。

大学3年生の時、ひょんなことからSudoのインターン生になった。詳細は僕がMediumに書いた記事や、Dennyが以前書いた記事を参照してほしい。

当時はまだフロントエンド開発に不慣れで経験も浅く、単なる情報を受け取るだけの段階にいた。

ソフトウェア開発の世界には、子供の頃からプログラミングをしたり案件を受注したりしている凄腕の人が珍しくない。僕自身のプログラミングへの理解は、専攻していた情報管理学科に端を発しており、大学の授業を通じてWeb開発の裏側がどのように成り立っているかを少しずつ理解していった。

当時は至らない点が多く、データ構造やアルゴリズムもめちゃくちゃで、そんな退屈なものをなぜ学ばなければならないのかさえよく分かっていなかった。今になってそれら基礎の重要性を知り、かなり後悔している。

しかしインターンの経験があったからこそ、同年代の中では比較的経験が豊富な層になれた(もちろん台湾科技大学にはもっと凄い人がたくさんいるけれど)。

Sudoのエンジニアはみんな技術に情熱を持った開発者ばかりで、僕も幸運なことにキャリアの初期から、当時まだ若かったReact(まだ0.x系だった)、Redux、Webpack、そして当時台湾ではまだ流行っていなかったRxJSといった、比較的先進的な技術に触れることができた。

2社目のスタートアップ

Sudoがクローズした後、僕は別のスタートアップに転職し、そこでプラットフォームサイトの保守と新機能の開発を担当した。

開発自体はオーソドックスに進めたが、レスポンシブWebデザイン(RWD)だったため考慮すべきことが多く、CSSを書くのはなかなかやりがいがあった。

フロントエンドの実装だけでなく、メルマガのレイアウト作成を手伝ったり、Ruby on Railsの自動デプロイツールであるHeavenの導入を試みたりもした。

サイトのフロントエンド基盤はわりと整っており、SCSSの補助もあってメンテナンスしやすく、開発しながら学ぶというプロセスの中で平穏に1年を過ごした。

振り返ってみるとあの時期はあっという間だった。毎日Webページの実装に没頭し、ひたすらコーディングと新機能開発に明け暮れた。当時は本当にWebの実装が好きで、ランチタイムにはWeb開発の記事を読み、退勤して家に帰ってからも新しい知識やCSSの新しい書き方を追っていた。

「日語八百屋」の立ち上げ

またこの時期に、僕は日語八百屋周刊を立ち上げた。Ruby on Railsで自作のニュースレター配信サービスを作り、自分の日本語ノートや集めた日本文化に関する記事を読者に配信していた。

最初の頃は毎週のように何を集めるかで悩み、生活はほぼ「仕事、八百屋週刊の執筆、休日の息抜き、そして原稿の締め切りに追われる」というルーティンだった。毎週月曜の朝、バスの中でその号のメルマガのデータを見つめ、どのリンクが一番クリックされているかを確認していたのを今でも覚えている。

フロントエンドの経験がある程度蓄積された後、僕はコンピュータサイエンス(CS)の知識を補い始めた。CS50やnand2tetrisを受講したり、アルゴリズム入門を読み漁ったり、システムデザインなどを学んだりした。技術に対する自分なりの見解やテイストが培われ始めたのもこの時期だった。

17LIVEへの参画

1年働いた後、僕は17LIVEに転職した。

当時はインターンの単位や一般教養、それにいくつかの必修単位を落とした関係で、大学を1年留年しなければならなくなっていた。

当時のマネージャーと相談したところ、幸運にもオファーをもらい、当時の僕の状況を受け入れた上で入社させてもらえた。今思い返しても本当に信じられないくらいありがたいことだ。

17LIVEでの時間はあっという間に過ぎ去った。毎日本当に出社するのが楽しみで、Slackでみんなとおしゃべりしたり、技術について議論したり、ランチを食べたり、日常のたわいもない出来事を共有したりしていた。会社でこれほど気の合う仲間たちに出会えたことは、どれほどかけがえのないことだっただろう。今でも一緒に開発し、技術を語り合い、くだらない雑談をしていた時間を懐かしく思う。

最初の業務内容は主にイベント用Webページの開発で、その頃に各種SQLを復習し、同僚たちとクエリの技巧的な書き方をあれこれ議論していた。

その後バックオフィスシステムの開発を担当するようになり、バックエンドとの連携でGraphQLを使用していたため、フロントエンドでもApolloエコシステムを使う機会に恵まれ、毎日とても充実していた(今振り返ると、少しオーバーエンジニアリングだった気もするけれど)。

そういえば、丸一日かけて以前の弁当注文システムのコードを整理し直し、ドリンク注文システムに作り変えて、みんながドリンクを頼みやすくした(はず)ことも覚えている。噂ではその後Slack内で完結できるように進化したらしく、何よりだ!

その後、Web版ライブ配信の開発と保守を手伝うことになった。そこではReactエコシステムの技術がふんだんに使われており、動画や複雑なデータフローを扱う必要があった。先輩たちがすでにかなり完成されたアーキテクチャを構築してくれていたこと、そしてマネージャーがチャンスをくれたことにとても感謝している。

あの時期は間違いなく最も急速に成長した時間だった。優秀な同僚たちと一緒に仕事ができて本当に楽しかった。退職した今でも連絡を取り合っており、たまに集まってご飯を食べたりしている。

兵役とひと息つく時間

2018年の5月頃、将来日本で働く計画の準備として、JPTIPの会話クラスに申し込んだ。

JPTIPの講師は全員日本人だったので、ネイティブな日本語で会話ができ、オール日本語の環境を作りやすかった。欠点は人数が多いと一人あたりの発話時間が減ってしまうことだった。

僕は当初ワーキングホリデービザで日本に行こうと考えていたが、友人と話してみて、直接就労ビザで日本に行くのも悪くないと思うようになった。完全週休2日で正社員の給料があれば、かえって余裕を持って日本の生活を体験できるからだ。

大学を卒業した後、僕は兵役に就いた。

4ヶ月の兵役は短く聞こえるかもしれないが、軍の中では本当に一日が千年のように長く感じられ、いつ出られるのかと毎日考えていた。

早い段階で日本語能力試験(JLPT)N1に申し込んでいたため、中隊に休暇を1日申請して試験を受けに行った。軍隊の中での付け焼き刃の勉強(休憩時間に日本語を読む)だったにもかかわらず、奇跡的にギリギリで合格することができた。

兵役を終えた後、僕たちは2週間の東京旅行を計画し、江の島、箱根、東京、軽井沢を訪れた。台湾に戻ってからは日本での就職活動に専念した。

就職活動

その時はすでに日本へ行くと決めていたので、日本の求人のみに絞った。ヘッドハンター、直接応募、友人からの紹介を通じて4つの内定をもらい、最終的には無事にビザも取得できた。詳しいプロセスは以前書いた記事を参考にしてほしい。

ビザの発給を待つ間、僕は再びJPTIPの受け放題コースに申し込み、ついでにパーソナルトレーニングを申し込んで筋トレを始めた。毎日の生活はだいたい日本語の授業とジム通い、プログラミング、そして渡日の手続きや引っ越しの準備といった感じだった。

日本の職場で働き始めた当初は、僕にとってやはりカルチャーショックだった。以前の会社はどこも人数が比較的少なく、気の合う同僚ばかりだったからだ。

しかし日本では、まず言語の壁に直面し、さらにすべての同僚が同じ価値観や経験を持っているわけではないため、そうした面で摩擦やすれ違いが生じやすかった。

これは僕にとってなかなか馴染めない部分であり、コミュニケーション面で大きな挫折感を味わうこともあった。

同僚に勧められてコミュニケーションやマネジメントに関する本を数冊読んだことで、この点は徐々に改善され、異なる意見やスタイルを持つ人たちともコミュニケーションを取り、協力して仕事を進められるようになっていった。

前職までに比べて会社の規模が比較的大きく、リソースも豊富だったため、整ったプロダクト開発プロセスとはどのようなものかを次第に学ぶことができた。

日本人が仕様書をこれほどまでに綿密に書くことには本当に感服しており、こういった仕様書を書く文化が台湾にも導入されればいいなと思う。

上司も僕がやりたいことをやるための自由をたくさん与えてくれた。CI/CDパイプラインの導入を支援したり、新機能を開発したり、サーバーを構築してSSRを導入したり、社内向けテストツールを作成したり、さらにはプロジェクトのTech Leadを務めさせてもらい、スケジュールの策定や見積もり、メンバーへの必要なサポートなどを担当した。

キャリアの始まりから現在に至るまで、僕はずっと良い上司に恵まれてきたことを本当に幸運に思う。彼らのおかげで、社会人として大きく成長することができた。

特に親しくしてくれたある上司は、一緒にスプラトゥーンを遊んだり、糸島へプリンを食べに連れて行ってくれたり、コストコや木材の買い出しに付き合ってくれたりした。仕事で困った時にも絶えず手を差し伸べてくれた。プロジェクトマネジメントの面では改善の余地があると感じていたものの、全体としては本当に素晴らしい上司だった。

彼はすでに退職してしまったが、振り返ってみるとまだちゃんとお礼を言えていなかった気がする。次回は居酒屋で一杯飲みながらゆっくり話せたらいいなと思う(最近はお酒があまり好きではないので、コーヒーでもいいけれど)。

また、社内の各部署に豊富なリソースがある環境を活かして、KotlinやSwift、その他様々な新技術も学んだ。疑問があれば同僚に聞くのが一番手っ取り早いし、何かあれば社内のプロジェクトのコードを直接見に行けばいい。

2021年には2つのカンファレンス登壇の招待を受け、さらに2020年のIT鐵人賽で佳作を受賞したことをきっかけに出版の機会を掴み、年央から原稿の執筆に追われつつも無事に出版することができた。

経験が積み重なってきたからか、物事を見る視野も少し広がったように思う。2020年と2021年には様々な分野を幅広く探索し始めた。例えばArduinoやRaspberry Piを触ったり、AVRを調べたり、STM32の開発ボードを買って遊んだり、PCBや3Dプリントを学んだりした。フロントエンドにとどまらず、他の領域とも統合して、もっと自分のやりたいことを実現したいと考えている。

今年は2022年だ。昨年と一昨年の探索を経て、今年は何か具体的な成果を残せる、切り拓く一年にしたい。

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