人生観を変えた一言
# 雑談これは僕の「BlogBlog 同樂會 - 2026 年 5 月」への投稿記事だ。本月のテーマは「改變人生觀的一句話」で、Eddie Lv が主催している。もし自分のブログを持っているなら、ぜひ一緒に参加してほしい。
1. 僕が創れないものは、僕には理解できない
What I cannot create, I do not understand. – ファインマン
ファインマンは、もしそれを創れないなら、それを理解していないのだと考えていた。
僕がソフトウェア開発の世界に入ったばかりのころ、僕は「基礎」を掘り下げるのが好きだった。たとえば、HTTP の背後にある仕組み、フーリエ変換、特異値分解、CORS の目的とメカニズム……といったものだ。この一言は、僕が新しい知識を学ぶとき、必ずその裏側の原理を理解しようとする姿勢を形作った。
だから僕は、基礎がしっかりしたエンジニアがより好きでもある。たとえば、僕のブログにたびたび登場する、オランダ人の元同僚のような人だ。
特に印象に残っていることが三つある。
一つ目は、前職の Hackthon で、僕たちが IoT 系のテーマを選んだことだ。Arduino を使って、CO2 濃度を簡単に監視するアプリを作った。ちょうど僕は CO2 センサーを買っていて、Arduino 用の SDK も提供されていたから、そのまま使うつもりだった。
でも彼は、「せっかく Hackthon をやるなら、学びがあるべきだ。既製のライブラリばかり使うのでは、普段やっていること(API を呼ぶのと)あまり変わらない」と言った。僕はその考えがとてもいいと思い、一緒にその CO2 センサーの Datasheet を読み解き、Protocol に従ってセンサーとの通信に成功した。
二つ目は、彼がフォーム送信に関するテストを書いていたときのことだ。multipart/form-data のフォームリクエストをどうやって模擬すればいいのかわからず、僕のところに聞きに来た。彼は、フォームは少し特殊な HTTP リクエストにすぎないことは知っているのに、library をいくら使ってもうまくいかないと言っていた。僕が見てみると、form boundary の設定ができていなかったのが原因だった。案の定、そこを直したらうまくいった。
三つ目は、僕たちが好きな YouTube チャンネルについて話したときのことだ。彼が Ben Eater を勧めてくれたのだが、コンピュータの原理を知りたい人にとっては、まさに宝のようなチャンネルだ。ネットワークの動作を説明するために、彼は伝送線路の信号をオシロスコープ付きで直接解説し、そのまま application layer まで話を進める。あるいは、ブレッドボードを使ってゼロからシンプルな 8bit CPU を作ってしまう。
AI が進化し続ける時代にあって、こうした能力はますます少なくなっていると感じる。だが、どんな時代であっても、これは得がたい特質だと思う。
2. 浅く考えろ、世の中舐めろ、保身に走るな、勝っても攻めろ
浅薄に考えろ、この世を舐めろ、保身に走るな、勝っても攻めろ
この言葉は、僕の大好きな映画『百米』の財津選手のセリフだ。
大人になるにつれて、僕はますます失敗を恐れるようになったと感じる。たとえば、小さなサービスを作ろうと思っても、デプロイやデータベース設計、監視まで考えると面倒になって、一行もコードを書かないまま終わる。新しい楽器に挑戦したいと思っても、もう社会人なのだから、いまさら学んでも大した成果にはならない気がしてしまう。
昔は、初学者向けのかなり平易な記事や投稿を見て、心の中で「こんな内容でよく人前に出せるな」と思ったことすらある。
初学者である以上、知識をすべて把握するのは本来とても難しいし、自分が何を知らないのかもわからない。けれど後になって、真に無知だったのは僕のほうだと気づいた。初学者は、自分が何を知らないのか知らないからこそ、余計な荷物を背負わずに手を出せる。一方で、僕は知識を得れば得るほど、かえって手を引っ込めるようになっていた。
あの「こんなものじゃないか」という自信こそ、まだ自己検閲に飼いならされていない勇気なのだ。
この言葉が僕に深く影響したのは、物事が完璧でなく、不確実性が高い状況でも前に進むことを、より恐れなくなった点だ。たとえば、大企業を辞めること、日本で受託案件に挑戦すること、異なる分野の人たちと交流することなどだ。
3. 人を支配するより、人を助けたい
I don’t want to rule or conquer anyone. I should like to help everyone — if possible.
これは、チャップリンの1940年の映画『独裁者』で、独裁者ヒンケルと間違えられたユダヤ人床屋が、演説台の上で群衆に向けて語る一節だ。
面白いことに、この言葉を僕が知ったのは、伊坂幸太郎の『モダンタイムス』を通してだった。伊坂幸太郎は、僕が大学時代にとても好きだった日本の作家だ。
僕はこの言葉に、子どものころから今までの心境が貫かれていると思う。僕は幼いころ家が裕福ではなく、中学時代の僕にはこれといった特技もなかった。勉強も得意ではなく、非常に自分に自信がなかった。いつも同級生に取り入ったり、ふさぎ込んで同情を引いたりして生きていた。
学業の時期には、たくさんの支援を受けた。たとえば、全聯愛心福利卡、授業料の減免、同窓会、同級生、先生たちの助けがあり、比較的安定した環境の中で勉強に集中できた。
キャリアの初期にも、実力の高い開発チームと上司に恵まれた。厳しいが安心できる環境で実力を鍛えられただけでなく、仕事で出会った上司の何人かは今では古い友人になり、職場で迷っている僕に、折に触れてはっとするような言葉をかけてくれる。
似たような考えを持つ言葉は他にもたくさんあって、どれも僕に深く影響したのだが、出典はもう忘れてしまった(たしか Elon Musk があるインタビューで触れていた気がする)。彼は、僕たちは Positive Sum を目指すべきだと言っていた。つまり、消費する以上に生産することで、世界はもっと良くなるのだ。
今の僕には、もう人を助ける側になる力がある。だからこそ、僕は自分が昔からずっと同じ考えを持っていたことをうれしく思う。人を支配するより、人を助けたい。