1. 30歳、次のあてもなく退職した話
30歳はひとつの分岐点だ。キャリアにおいて結果を残していれば、普通なら会社での地位も安定し、コアメンバーとして貢献していたり、あるいはマネジメント職やテックリードになっていたりする頃だろう。しかし、僕はキャリアの資本が最も充実しているこのタイミングで、次のあてもなく会社を辞めた。
客観的に見れば、この決断は無謀と言わざるを得ない。
僕は今年、家を買った。貯金の残高は心もとなく、その上住宅ローンのプレッシャーもある中での退職はリスクが非常に大きい。X(旧Twitter)などでよく見かける事例——「十分な貯金がない状態だと衝動的な決断をしてしまう」まさにそれだ。
会社で働き給料をもらうのは、安定してはいるものの、本質的には価値の交換にすぎない。開発においてどれだけアイデアを持っていようと、アーキテクチャやデザインパターンにどれほど高い理想や抱負を抱いていようと、結局は会社のために尽くしているだけで、本質的には歯車の一つに過ぎない。その歯車が大きいか小さいかという違いだけだ。
会社でこれまでにないほどの成長機会を得られたのは確かだ。大規模トラフィックに向き合いながらいかに適切なアーキテクチャを設計するか、サーバーを一から構築すること、世界各国の開発者と交流すること、他部署のチームとコミュニケーションをとること、そしてチームを率いていくつもの機能をリリースしたこと。これらはすべてかけがえのない経験であり、これほどのトラフィックと規模があって初めて、以前なら思いもよらなかったような世界を目にすることができた。
しかし最近僕が目の当たりにしたのは、あらゆる非効率さだった。これはおそらく、大企業なら多かれ少なかれ抱えている共通の病理なのだろう。
効率の低下、盲目的な拡大、コミュニケーションのすれ違い、複雑すぎる意思決定、曖昧な責任の所在、責任のなすり合い。これらは大企業にとって根治が難しく、緩和することしかできない病気だ。
僕は一昨年に新規プロジェクトへアサインされた。当時の上司は僕に存分に腕を振るう機会を与えてくれ、初期メンバーとして開発フローに対して大きな裁量権を持ち、後から入ってくるメンバーの開発スタイルにまで影響を与えられる立場だった。
僕は以前のプロジェクトでの経験を活かし、開発上の煩雑な作業を簡素化しようとした。また、日本特有の面倒なドキュメントチェックフローに対応するため、方々と調整を重ね、自動化を導入し、チームがそうした形式的な手続きに足を引っ張られないよう尽力した。
結果は失敗だった。上層部が求めたのは、どこまでも形式的なドキュメントフォーマットに従うことであり、デプロイの確認方法はウェブ画面のスクリーンショット。コミュニケーションコストの高さが開発に少なからぬ悪影響を及ぼした。
周りの同僚と話してみて、当時の上層部が求めていたのは業務改善ではなく、ただ黙々とコードを書くマシーンだったのだと知った。その形式的な手続きがすでに生産性を大きく損ねていたにもかかわらず、だ。
結局、このプロジェクトは開発中止となり、僕の成果も水泡に帰した。
開発中止が2プロジェクト連続で続いたこと(追記:最近また1つ潰れた)は、僕にとって大きな打撃だった。会社の方針としては理解できる一方で、結局のところ自分の貢献が報われるかどうかは会社の都合次第なのだと感じてしまい、精神的にも健全な状態とは言えなかった。
この経験を通じて、僕はひとつの重要なことに気づかされた——仕事の成果はある程度予測がつかないものであり、より重要なのは「環境」だ。誰と働くのか、どのプロジェクトで働くのかということだ。
もちろん、同じ会社でまったく対照的な経験もした。僕がやりたいことを理解して開発チームのリーダーを任せてくれる上司に恵まれ、プロジェクトで成果を出せばそれが評価に反映され、数年で給料はほぼ2倍になった。これはまた別の話なので、後でゆっくり語ることにしよう。
最も有害な3大依存物質は、ヘロイン、炭水化物、そして毎月の給料だ。 —— ナシーム・ニコラス・タレブ
次第に僕は麻痺していき、給料はモチベーションから毒薬へと変わっていった。言われたことをこなしていれば、毎月そこそこの給料が振り込まれる。下手にでしゃばって何かを変えようとすれば、かえって裏目に出て評価を落としかねない。環境は本当に人を変えてしまうものだと痛感した。
瑣末なタスク、会議、ルーティンワークに追われ、プロダクトの方向性は僕自身のコアバリューから乖離していった。社内の環境により、会社を辞めたいという思いは日に日に強くなっていった。
これが、僕の望んでいた生き方なのだろうか?
はっきりと断言できる。違う。
今の僕にとって、現状に甘んじることや、今の自分が好きになれない仕事を続けることは、選ぶべき選択肢ではないはずだ。全体として見れば、ここの環境は今でも素晴らしいし、やる気さえあれば多くの成長機会が得られる場所だ。ただ、今の僕にはもう合わなくなってしまったのだ。
会社の中で新しい挑戦に向き合う楽しさを否定するつもりはない。得難い機会があり、テーマが自分に合っているなら、再び企業に勤める選択肢も排除しない。けれど、自ら外に飛び出して探索する方が、より多くのコントロール権を得られ、僕の本当にやりたいことにも近づける。
そろそろ、第一歩を踏み出す時だ。
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