· 6分で読了

価値というもの

この記事は中国語から自動翻訳されたものです。翻訳によりニュアンスが失われている場合があります。

最近ずっと「価値」ということについて考えている。

現在、「大フロントエンド時代」のようなトレンドがある。エンジニア転職に興味がある人に対して、フロントエンドの良さをあれこれ吹き込み、つべこべ言わずにまずはフロントエンドエンジニアに転職しろと煽る風潮だ。しかし、市場は等価交換で成り立っている。会社はお金を払って君の専門性を買い、君は時間を差し出して対価を得る。そして、たまたま市場にウェブサイト制作の需要があったり、多くの会社のサービスやプロダクト自体がウェブ中心だったりするからこそ、フロントエンドエンジニアが必要とされているに過ぎない。

ちなみに、僕はフロントエンドエンジニアを自称していろんな産業チェーンを見下し始めるような人があまり好きではないのだが、この話はまた時間のある時にしよう。

最近、無印良品でタイマーを買った。シンプルなデザインがとても気に入ったので、500元もしたけれど思い切って購入した。

4550182248296_1260

よくよく考えてみると、その機能は決して複雑ではない。カウントダウン、リセット、ディスプレイ表示、これだけで完結している。だが、それを完全なプロダクトに仕上げるには、プロダクトデザインが必要だし、金型なども必要で、適当に作れるようなものではない。

これで500元の価値があるのだ。人に500元を払わせてソフトウェアやオンラインサービスを買わせるのはどれほど難しいことか。しかしハードウェアはあっさりとそのハードルを越えて消費者に財布を開かせる。ただ僕がずっと考えているのは、プロトタイプを製品化できるレベルまで持っていくのは、人脈やルートがない限り個人開発者だけではほぼ不可能だということだ。金型を作ったり工場に発注したりするだけでもかなりの大金が必要になるため、個人開発者が自分用に使うにせよ、スモールビジネスをやるにせよ非常にハードルが高い。

その点、ソフトウェアには強みがある。開発者であれば、0から1まで一人で完全なサービスを作り上げることができる。サーバーもデータベースもクラウドで直接解決でき、パソコンがあってコードさえ書ければ無限の可能性がある。もちろん、ソフトウェア開発でニッチな市場を見つけてお金を稼ぐのはまた別の話で、今ではほとんどの需要に対応するサービスやプロダクトが存在しているため、純粋なソフトウェアだけで稼ぐのはどんどん難しくなっていくかもしれない。

だからこそ様々な統合(インテグレーション)が求められる。例えばAmazonは単にプラットフォームを提供するだけでなく、物流なども一手に引き受けてサービス全体のフローを円滑にしている。Uber Eatsも同様で、配達プラットフォームを提供するだけでなく、店舗との連携や配達の進捗追跡、評価システムなども提供している。僕が言いたいのは、ソフトウェア単体で生み出せる価値には限界があり、多くの場合、ただコードを書いて終わりではなく、泥臭く現場に根ざしてユーザーのニーズを理解する必要があるということだ。

おそらくこれが、名の知れた多くのエンジニアが最終的にはエンジニアと名乗るのをやめてマネージャーになったり、直接起業家になったりする理由なのだろう。結局のところ、ユーザーのニーズを解決するにあたって、プログラミングは単なる手段の一つに過ぎないからだ。

ただ、そうしたプラットフォームは別の問題も生み出す。プラットフォームの運営を維持するためには誰かが労働力を提供しなければならず、そうした人々が提供する労働力は、しばしば給料に見合っていない。実際に荷物や料理を配達している人こそが取引を成立させている当事者なのに、彼らの報酬は往々にして想像以上に低い。大儲けするのはプラットフォームであり、高い給料を受け取るのはエンジニアで、その背後で血と汗を流しているのは数え切れない市井の人々なのだ。これが非常に複雑な問題であることは分かっているが、僕の心の中ではどうしても違和感が拭えない。

価値という話に戻ると、先ほど触れたように、君は時間と専門性を差し出して対価を得て、会社は君のスキルを買う。給料は会社、経歴、スキル、市場の需要によって異なるものの、最終的には一定の限界がある。給料だけで裕福になったり、経済的自由を手に入れたりするのは極めて難しい。

いわゆる経済的自由とは、大金を稼ぐことではなく、経済的な要因に縛られずに自分のやりたいことを自由にできる状態を指す。例えば、1ヶ月仕事を休んであちこち旅をしたいと思ったら、会社や銀行口座の残高を気にすることなく、すぐに航空券を取って出発できるようなことだ。経済的自由がなければ、何の不安もなくやりたいことをやるのは難しい。それどころか、お金がないという事実そのものが他人よりも過酷な生活を強いることになり、スタートラインの時点で負けてしまう。このことは、小学生から大学を卒業するまでの間に僕自身が痛感してきたことだ。

僕はネットでたくさんの記事を読み、本も何冊か読んだ。アプローチはそれぞれ異なっていても、最終的にはどれも一つの場所を指し示している。すなわち、「資本主義のゲームに乗ること」だ。

経済的自由を手に入れるには、投資をし、不動産を買い、不労所得を作り、外注し、マイニングをしなければならない。だがどういうわけか、僕はそうしたことに少し抵抗感を覚えてしまう。確かに、資本主義に乗っかることは経済的自由を達成するための最速の方法だ。複利効果の威力により、時間や労働力を差し出さなくてもお金を得ることができるからだ。

だが、現場で実際に手を動かして働いている人たちはどうなるのか? 彼らの注いだ心血はどこへ消えてしまうのだろうか? すべて資本主義に吸い上げられてしまうのだろうか? 正直、僕にも分からない。突き詰めて言えば、僕自身も資本主義の歯車の一部に過ぎないのだろう。何しろ今の僕だって、資本家たちがより効率よく稼ぐためのサービスを実装している最中なのだから。

ただ、そうした人々を見ているとこう思ってしまう。彼らはこんなにも懸命に生きているのに、僕たちはただ搾取することだけを考え、もっと甘い汁を吸おうと資本主義の極限を突き詰めるだけでいいのだろうか? 僕に何か手助けできることはないのだろうか?

色々考えてみても、自分一人にできることは少ないように思える。唯一できることは、まずは資本主義に身を投じ、手持ちの資源がもっと潤沢になってから方法を考えることくらいだ。それまでの僕は、「少しばかり」恵まれた暮らしをしているホワイトカラー層の一人に過ぎない。

以前、誰かの返信で見かけたのだが、「もし難解な知識が本当に大衆に愛されているなら、論文を書くだけで今頃は大金持ちになっているはずだ」とあった。確かに、アルゴリズムの論文を1本読むよりは、LeetCodeの解説がついたアルゴリズムの講座を受ける方を人々は好むだろう。だが、世界中から誰にも理解されていないと斜に構えて世をすねるのではなく、市場の声に耳を傾けるべきだとも思う。もっとも、これによって「論文を書いたり研究をしたりして人々の思想や科学を真に前進させる行為」よりも、「手っ取り早く講座を開いて金を稼ぐような、より市場に迎合しやすい行為」へと人々が流れてしまう、という別の問題が生じるわけだが。

正直なところ、次に自分がどこへ向かうべきなのかもよく分かっていない。毎日どうすればいいのか迷ってばかりだ。GG。

さて、以上、特に要点も脈絡もない文章だった。読んでくれてありがとう。

関連記事

他のトピックを探索