ネット上のコメントには毒がある
僕はずっとある疑問を抱いていた。身近な友人たちは普段、ネット上であることについて論評したり、例えば投稿のリプライ欄にコメントを残したり、Twitterで自分の意見を発信したりすることがあまりない。しかし、非公開のグループチャットなどで質問を投げかけると、大抵は的確で良いアドバイスをもらえる。僕が実感したのは、実のところ人はアドバイスや意見を言うのがとても好きだということだ。それなら、なぜ僕たちの多くはネット上で滅多にコメントしないのだろうか?
僕はその原因が主に2つあると考えている。
1. 他人からの攻撃を恐れている
何万人もいるコミュニティでは、「どうせ何を書いたってお前には特定できない」といった態度を取る人間が簡単に現れ、コメントした人が悪意あるコメントによって攻撃されてしまう。このような悪意に満ちたコメントにまともに対応するのは、極めてエネルギーを消耗する。せっかく善意でコメントした結果が攻撃されることなら、当然誰もコメントしたくなくなるし、自然とコメント欄に残るのは心無いアンチ(asshole)ばかりになる。プラットフォームが適切なフィードバック機能やモデレーションを提供していない場合、自由を維持しながらいかに適切な規律を設けるかというジレンマに陥りやすいと僕は考えている。こうした思考から抜け出す最善の方法は、コメントしている人たちが決して大多数を代表しているわけではないと認識することだ。声に出されていない、耳に届かない意見の方がはるかに多いのだ。
2. 野次馬を恐れている
おそらく君の視点は間違っていない。ただ、相手が強烈で感情的、あるいは威圧的な口調で問い詰めてくると、「自分の方がお前より上で、経験も豊富だ」という錯覚を容易に生み出してしまう。そして野次馬たちは自然とその側に傾き、その目に見えない同調圧力は実に巨大なものとなる。理解しておくべきなのは、通常このような状況では、たとえ君が正しくても、割って入って味方してくれる人などいないということだ。そして君が筋道を立てて論理的に話そうとすればするほど相手は喜び、感情的な言葉を並べるだけで簡単に世論の風向きを操作できてしまう。
僕がネット上で発言する際のルールは、「現実世界で相手に言わないようなことは、ネット上でも絶対に言わない」ということだ。人を「馬鹿」や「無能」と罵倒したり、暴言を吐いたり、性的に侮辱したりすることはしない。だが、こうした当たり前の自制心や矜持は、今のネット社会では通用しないようだ。
僕の解決策
僕もたまにSNSで発信するが、悪意あるコメントに出くわすことはよくある。僕にとって最善の方法は、そうしたコメントを完全に無視し、建設的な議論をしたい人とだけ交流することだ。あまりにも度が過ぎる場合は、即座にブロックすればいい。
また、記事を書くのも良い方法だ。SEOを通じて読者を集めることができ、アンチはその場で意味のない愚痴をこぼすことしかできない。コメントという観点から見れば、なぜクローズドなLINEグループやDiscordサーバーができると、みんなこぞって参加するのかが僕にもよく理解できる。そこには確かな帰属意識と、安心して本音を話せる環境があるからだ。
単に助けを求めているとき、その質問が検索エンジンにヒットするかどうかや、議論が公開されているかどうかなんて気にしない。誰かが親身になって答えてくれ、支えてくれるだけで、より大きなポジティブなエネルギーが生まれる。
僕自身は知乎(Zhihu)のようなコミュニティの雰囲気が割と好きだ。的確な質問が投げかけられ、回答者も熱心に答える。様々なインセンティブ機能によって、真摯に回答する人がより多くの露出やトラフィックを得られ、結果としてポジティブな空気が醸成されている。どうしても批判したいアンチは批判すればいいが、アンチがごく少数派になれば、受け手としてもそこまで気にならなくなるのだ。
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