コミュニケーションの秘訣 - 少なく話し、多く聞く
# 雑談仕事でも、社会全体でも、空気は非常に張りつめている。そのせいで、みんな忙しすぎて、他人が何を話しているのかを聞く時間も、あるいは能力すらもなく、ただ自分が話したいことだけを話したがる。
僕がこのことに偶然気づいたのはここ2年ほどのことだ。僕が好きなゲームや歌手について話しても、同僚は何度も同じことを聞いてきたり、そもそも一度も聞き入れていなかったりする。集まりでもみんな同じ話題を繰り返していて、僕は思わず苦笑してしまう。
僕はいまも「聞く」ことを学んでいるが、これをきちんとやるのは本当に難しいと感じている。多くの人は、聞くことすらできない。
- そもそも話を聞く気がなく、すでに反論する立場で構えている
- 表面上は聞いているが、内容は頭に入っていない
- 聞いてはいるが、聞き終わると忘れてしまう。あるいはどうでもいい質問をする
- 本当に聞いていて、咀嚼し、整理し、聞き返してくる
僕が最近悟ったのは、友だちに共有したいことが1分を超えるなら、書き留めるか録音することを考えるべきだということだ。大多数の人は、場に応じて「相槌」を打つことはできても、30秒前に話したことはその場で忘れているかもしれない。
一部は、音声というものが情報を失いやすい性質を持っているからだ。しかし、もっと根本的な理由は、おそらく大多数の人がそもそもあなたの話を聞きたくないからだ。
これは相手にとって自分がどれだけ重要かにも関わってくるし、単に相手があなたに労力を割きたくないだけという可能性もある。(ただし、このケースはひとまず論じない。主に職場の観点から話す)
もう一つは、30歳を超えるともう若者ではないという点だ。話しすぎると説教くさい人になる。若い人はあなたを遮りにくいが、そもそも彼らはあなたの武勇伝にも説教にもまったく興味がない。日本語で言えば、「身の程わきまえろ(自分の立場をわきまえろ)」というやつだ。
ううう。
逆に考えれば話は違う。傾聴は大多数の人が苦手だが、大多数の人は聞いてもらいたがっている。つまり職場におけるコミュニケーション成功の秘訣は——少なく話し、多く聞くことだ。
では、自分の言っていることこそ正しいと思ったらどうするのか。これはいくつかの状況を考える必要がある。
- 認識や情報のズレ
- 僕は間違えられない
認識の違いや情報のズレが原因で自分の言っていることこそ正しいと思っているなら、コミュニケーションの要点は単純だ。双方の情報をそろえればよい。コミュニケーションでは実際によくあることだし、あなたが本当に相手の知らない重要な情報や背景を押さえていることもある。
ダニング=クルーガー効果には注意が必要だ。能力の低い人は、認知に関するメタ能力が欠けているため、かえって自分の実力を過大評価し、自分の誤りに気づけない。
これは職場でよく起きる現象でもある。もしあなたがしょっちゅう他人をバカだと思うなら、もしかするとあなた自身がそのバカなのかもしれない。ダニング=クルーガー効果は自覚しづらいものだ。周囲の状況に注意し、入力する情報を慎重に選ぶことから始めるしかない。
時には本当に、他の人たちがみんなバカなだけということもある。もしそういう観察が何度もあるなら、わざわざ職場で揉まれ続ける必要はない。もっと賢い人が多い場所に移るか、あるいはそのまま起業して社長になればいい。もし本当に自分の考えどおりなら、商売はきっとかなりうまくいくはずだ。
「僕は間違えられない」については後の章で扱う。
傾聴
僕は傾聴を2段階に分けている。理解と共感だ。
そして共感こそが最も難しく、しかも最高レベルのコミュニケーションである。通常、互いに共感が生まれて初めて、私たちは相手の見解に耳を傾けようとする。以降の話を進めるために、まずは普通の職場環境、つまり皆がより良いプロダクトを納品するために努力している状況を前提にする。
開発でよくあるのは、フレームワークやシステム設計、あるいは機能実装についての議論だ。意見が合わないとき、通常はどう解決するのか。僕がよく目にするのは、次のようなケースだ。
- 双方が自分こそ正しいと主張し、どちらも譲らない
- 権威に押されて妥協する
経験豊富な上司であっても、こうした設計は確実に問題になると分かっていて、いきなり解決策を出してしまうと、たいていは効果的なコミュニケーションにはならない。相手は、権力を笠に着ているとか、わざとひけらかしていると感じやすい。
そういうときは、理解と質問を通じて、一歩ずつ相手を正しい方向へ導くことができる。
「その設計、すごくいいと思う。最初はどういうふうに設計したんだ?」
「ここ、権限設計まで考えてあるのがいいね」
「えっ、この設計で高負荷の読み書きが来たら、DBが叩き潰されてシステム全体が落ちたりしない?」
「この非同期処理が失敗したらどうするの?」
「この書き方の計算量っていくつなのか気になる」
質問という形で、相手をこちらが望む方向へ少しずつ進ませる。できるだけ、相手が解法にたどり着いたあとでも「これ、全部自分で考えた」と思えるようにするのだ。相手を完全に理解し、先入観を持たないときにだけ、コミュニケーションには意味が生まれる。
傾聴の目的は、最良の結果にたどり着くことだ。最良の結果のためなら、僕は自分のやり方に固執しないし、功績が自分のものかどうかも気にしないし、面子を潰されることも気にしない。
この境地に至ってこそ、初めてコミュニケーションの本質を悟ったと言える。
僕は間違えられない
多くの開発者が、頭を下げたくなったり、恥をかくのが怖くなったりしたときに陥る心境だ。この場合、「正しいか間違っているか」自体はもはや重要ではない。すでに、自分の心理状態を守る問題へと変わっているからだ。
多くの開発者にとって、間違いを認めることは、自分がバカだと認めること、自分が失敗したと認めることに等しい。
自尊心を守るために、彼らは自分の誤りを指摘する可能性に対して無意識に抵抗する。失敗を恐れるのも、自信のなさの表れの一つだ。彼らはある領域で絶対的なコントロール権を握ろうとする。
成長し続ける鍵は、自分も間違えると認め、間違いを貴重な成長機会として受け止めることだ。
僕の開発キャリアで犯したミスを挙げれば、もう数え切れないほどある。だが、だからこそ大量の経験が蓄積され、次はどうすべきかが分かるようになった。多くの著名な開発者も、いろいろな場で自分がよく間違うと語っている。
「だから、間違っても構わない」という立場で反論する人も多いが、開発でもプロジェクトでも、失敗してよいことなどほとんどない。状況がなければ一概には言えないが、あとは失敗後の結果を引き受ける覚悟があるかどうかだ。
特にAIが進化し続ける時代では、かつての経験が今日では通用しないことも多い。時には若い人の提案のほうが、むしろより良い解決策だったりする。『葬送のフリーレン』でフェルンにとって攻撃魔法が骨の髄まで染みついたものになっているのと同じように。
自分が正しいという執念を手放してこそ、最良の結果にたどり着ける。
(みんな分別のある人間だと思っているので、これを「適当にやってもどうせミスる」という意味に受け取らないでほしい)
事実か、それとも見解か
立場や価値観のレベルに、正解・不正解はない。多くの場合、僕たちが争っているのは、そもそも標準解のある「事実」ではなく、主観的な「見解」だ。
そしてコミュニケーションにおける衝突の原因の一つは、事実と見解を混同することにある。
- 事実:「このコーヒーは摂氏90度だ。」
- 見解:このコーヒーは熱すぎて、うまくない
多くの人は、自分の「見解」を、疑いようのない「事実」として守ろうとする。
会話がその人の核心的な価値観に触れたとき、もはや論理の議論ではない。
こうした信念は個人のアイデンティティと深く結びついているため、その見解に挑むことは、その人自身を攻撃するのと同じになる。この場合、ほとんど「正しいか間違っているか」の結論は出ず、あるのは立場の違いだけだ。
まとめ
僕がかなり使える指標だと思っているのは——他人がどう考えているのかを、どれくらい本気で気にしているか、だ。
もし他人がどう考えているのかを頻繁に気になるなら、あなたはすでにコミュニケーションの本質をつかんでいる可能性が高い。逆に、いつも他人をバカだと思い、自分の解法こそ正しいと思っているなら、それはまだコミュニケーションのやり方を知らないということかもしれない。