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デフォルト値と品味

# 雑談
この記事は中国語から自動翻訳されたものです。翻訳によりニュアンスが失われている場合があります。

今朝、出勤前に Wiwi の預設值を読んだ。深く共感したので、最近考えていることをもう少し語りたい。

みんながまだ「今って結局どうするのが正解なんだろう」とはっきり分かっていないとき、たった一人が「こうしてもいいんだよ」と示すだけで、その行動は「デフォルト値」になりうる。 …一度それが設定されてしまうと、変更するのはものすごく難しい。 Wiwi

記事中の例もとても好きだ。僕はいま福岡に住んでいて、地下鉄にも「2列で並んで乗れる」「エスカレーターでは歩かない」といった標語がたくさんある。福岡は左側に寄ることが多い(日本の大部分は左側通行で、大阪は右側だ)。

2列並びで利用できると何度も案内されているのに、みんな無意識にもう片方を空けてしまう。公式が強く推進しているおかげで、最近は2列で並ぶ場面が増えたと感じるが、それでも大半は右側を空ける。

僕が右側に立つときにも、見えない圧力を感じることがある。急かされたことはない。ただ、後ろの人が舌打ちするのを聞いたことがあるだけだ。東京はもっと露骨で、大きな駅で空けないと人が詰まってしまうような状況だと、圧力はさらに強い。さらには一人用のエスカレーターでも片側を空けられず、みんなで意地になってそのまま階段のように歩いてしまう。

もう一つは SEO の話だ。僕のブログは2025年初めごろ、なぜか Google から流入を落とされ、インデックスも外された。

同時に、自分の日本での暮らしや観察を共有するために、日名遊實も別に立ち上げた。書き方としては、どちらかというと実用情報の共有に寄っている。

その結果、僕がかなり役に立つと思っていた記事ほど SEO の流入も順位もほとんど得られず、逆に日本の時価総額ランキングをただ紹介しただけの記事がいちばん多く露出した。その記事は、時価総額の順位を並べただけだ。SEO の本来の目的は、読者にとって最も有用な記事を見つけることだから、ある意味では理にかなっているのかもしれない。

読者にとって最も役立つ記事が、必ずしも良い記事とは限らない。ただ、AI 生成の量産記事が SEO 上位を占めているのを見ると、やはりかなり残念だ。今のネット環境は、なぜこういう人たちを報酬する方向に変わってしまったのかと思う。

僕は AI を使うこと自体に反対ではない。ただ、明らかに AI っぽさがにじみ出ていて、何の調整もされず、順位を取るためにキーワードを詰め込み、開いてみればランディングページ広告と冗長な文章だらけ、というものを見ると、確かに Wiwi が言っていた通りだと思う――デフォルト値だ。みんながそうしていると、それを修正するのは難しくなる。


最近は扁平時代という本を読んでいる。アルゴリズムが僕たちの文化や品味にどう影響するかを扱った本だ。

本の中では、ヴォルテールの品味の定義が紹介されている。「品味のある人になるには、作品の中に美を見いだし、その美がどこにあるのかを理解できるだけでは足りない。あなたは美を感じ取り、その美に心を動かされなければならない。しかも、ただ理由も分からず感じたり、心を動かされたりするだけでも足りない。さまざまな感情の微妙な違いを見分けられなければならないのだ。」

僕はこれが、最近見た中で最も自分の考える品味に合っている定義だと思う。何が良いのかを感じ取れ、その理由まで説明できる。これが品味だ。

ブログ運営のほかに、僕は短い動画も撮ろうとしている。最近の生活状態では、長尺動画を作るだけのエネルギーが足りないと分かっているからだ。でも短い動画を撮るたびに、どうすれば視聴者に合わせられるか、人が好きそうな内容をどう作るかを考えてしまう。BGM、タイトル、テロップ――アルゴリズムで選別されたこうしたコンテンツは、ますます同質化し、ますますつまらなくなっている。

ただ、新しいことに挑戦するとき、やる前から「これはひどい」と言うよりも、やってからそれを批判するほうがずっとかっこいいと思う。たとえば、東大や京大に入って修士・博士まで終えたうえで「勉強なんて役に立たない」と言う人はかっこいいと思うし、YouTube を100本撮ってから「YouTube から離れよう」と叫ぶ人もかっこいいと思う。AI Coding で10個のプロダクトを作ってから「Product だけでは意味がない」と言う人もかっこいいと思う。

少し脱線したが、とにかく僕もデフォルトを設定していく精神を引き継がなければならない。

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